心の安らぎを求めて

「祈りの画家」押川繁夫

宮崎県出身 1958年4月25日生(64歳)

心の安らぎを求めて

「祈りの画家」
押川繁夫

宮崎県出身 1958年4月25日生(64歳)

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病気との闘い・絵画との出会い

 

元は料理人だった押川、パスタやピザなど本格なイタリアンレストランに勤めていました。真面目な性格が買われ、店の運営を任されるようになり、48歳の時には店長にまで昇進しました。しかし、その昇進直後に脳出血で倒れてしまいます。

 

一命は取り留めたものの後遺症として、重い言語障害と右半身の麻痺が残ってしまい、一年以上は言葉が出ず、右半身の麻痺もよくなる事はありませんでした。

 

そのため箸さえ握ったことのない左手での生活、左足での歩行を強いられるようになり、3年以上リハビリセンターに通い、利き手交換の訓練を行いました。2011年には「らんまん」に通うようになり、利き手交換の訓練の一環として、絵を描くようになります。

 

今までの人生の中で、絵は見る事はあっても自分で描くことなどほとんどなかった押川。しかも利き手ではない左手での創作、初めの数年は、満足のいく絵は描けませんでした。しかし、何度も何度も繰り返し描くうちに少しずつ絵が描けるようになり、かつての右手よりも細やかな創作作業を左手だけでこなせるようになりました。


今までの人生の中で、絵は見る事はあっても自分で描くことなどほとんどなかった押川。しかも利き手ではない左手での創作、初めの数年は、満足のいく絵は描けませんでした。しかし、何度も何度も繰り返し描くうちに少しずつ絵が描けるようになり、かつての右手よりも細やかな創作作業を左手だけでこなせるようになりました。

そんなある時、らんまんで自分の絵が売れたことが大きな転機になります。他人から評価されることの喜びを知ることで、ますます創作活動に没頭するようになるのです。今では、ならまちのカフェや街角ミュージアムに作品を出品したり、展示していただくようにもなりました。


 

優しい部分を表現したい。

 

「優しさを表現したい」と押川は言います。確かに押川の描く絵は、怒りを露わにした仏像さえもどこかに優しさ感じさせ、見るものの心を落ち着かせます。自身の心の静けさをその絵に表現することと同時に、自ら心の安らぎを得ているようにも感じます。

 

今までは、仏像や風景画を中心に描いてきましたが、これからは人物画にも挑戦して、人から溢れる優しい部分も暖かく描き出していきたいと考えています。 


押川繁夫の作品